コモングラウンドで建築を
単なる「箱」から「没入型デバイス」に
AIやロボットの進化が加速している。近い将来、住環境でロボットなどと共存する暮らしが現実のものになりそうだ。
大阪関西万博でシグネチャーパビリオン「null2」の建築設計などを担当した豊田啓介氏(東京大学生産技術研究所特任教授)は、今後、ロボットなどが生活空間で活用するためには、空間情報の共通基盤「コモングラウンド」が重要になると指摘する。

人間が日常的に行う会話ベースのコミュニケーションの背景には、必ず「共有された認識・背景」が存在します。例えば「秋の夕暮れ」と言ったとき、言葉の辞書的な意味だけでなく、赤とんぼの飛ぶ風景や夕食のシチューの匂いなど、お互いに100%ではないにせよ、なんとなく共有されている曖昧な背景があります。人間とAIやロボットなどのデジタルエージェント(NHA:ノン・ヒューマン・エージェント)がスムーズにコミュニケーションを取ろうとすると、こうした認識を共有する基盤が必要になります。京都大学名誉教授の西田豊明氏は、人間社会と人工知能がともに依拠できる共有基盤のことを「コモングラウンド」と定義しました。
我々はこの概念を「空間の理解」に拡張し、空間に対するコモングラウンドとして提唱しています。現在、AIが理解する空間と、人間が理解する空間には、共有領域がほぼありません。また、空間には無限の情報があり、人はそれらを苦もなく理解することができますが、現在のAIにとってそれらはほぼ意味をなさないノイズだらけの状態です。人間はパッと空間を見て、コミュニケーションや行動に必要な情報だけを瞬時に抽出できますが、AIには難しい。だから「この時にはこの情報が重要だよ」とAIなどのNHAに提示できる共通の基盤が必要なのです。
ただし、この共有基盤を整備することは容易ではありません。近年、膨大なデータを学習した大規模言語モデル(LLM)が劇的に進化しました。言語データには英語のように、既に蓄積されたデータが特定のルール、例えば英語といった言語フォーマットで構築されているので、AIも学習がしやすい。
しかし、空間に関するデータは、産業ごとにフォーマットが乱立し、なおかつ英語のような互換性のある標準的なデータが存在しません。我々は、空間データにおける共通言語として「コモングランド」を構築しようとしているのです。英語のように、誰もが共有できる基盤を整備することで、どんな空間記述の仕様にも互換性を付与することができます。そうすることで、空間の静的データを扱う「LSM(Large Spatial Model:大規模空間モデル)」だけでなく、「LBM(Large Behavior Model:大規模行為空間モデル)」も構築することが可能になります。
エージェントのスマート化から「環境のスマート化」へ
現在、AIやロボット業界の主戦場は「エージェント・セントリック(エージェント中心)」になっています。ロボット自身がカメラやセンサーで空間を認識し、自らワールドモデルを構築して判断し動くアプローチです。この方法では、ロボットを高度に賢くしていく必要があり、1台数千万円もするスーパーロボットが必要になります。
そこで我々が提案しているのが、環境側に共通の情報を置いておき、ロボットがそこにアクセスする「環境側のスマート化」です。例えば、ロボットがドアを認識した瞬間に、自分の機体のスペック(四足歩行か、車輪かなど)を提示すると、環境側が「このドアはレバーハンドルで、あなたの寸法ならこう動けば開けられるよ」とその場所や機能に特定の情報を教えるのです。これが実現すれば、ロボットは最低限の知能や機能を備えておけばいいので、コストもかなり低減されるはずです。自動車で例えるなら、自動車側の自動運転機能を高度化するのではなく、道路側が「この先まっすぐだよ」とガイドするようなイメージです。
もちろん、目の前に急に子供が飛び出してきたような直近の安全確保は、遅延が許されないのでエージェント側のローカル処理で行う必要があり、自動車側もある程度の知能や機能を備えておく必要があります。ローカルがやるべき領域と、環境が提供すべき領域には明確な棲み分けが存在するのです。世界中がエージェントのスマート化に巨額の投資をする中、日本はまだ誰もやっていない「環境側のスマート化」からトンネルを掘るべきなのです。
「環境側のスマート化」と言うと、ドア自体がスマート化されていて、ドアが直接ロボットに情報を提供するという姿をイメージするかもしれませんが、それだけではありません。先述したように、誰でも使える共有基盤に空間の情報を集約してそこから参照する部分と、例えばドアがそのドア独特の動きを扱う部分と、環境の中でもグローバルとローカルの連携が行われるのが理想です。その一方で、ハードとしてのドアにも開閉状態などをリアルタイムに共有基盤に知らせるための仕組みを導入しておきます。これによって、静的なデータと動的なデータをハイブリッドに集約しながら、先ほど述べたLBMを構築していくというわけです。
日本が世界に先駆けて「コモングラウンド」構築する
建築の空間情報を構築するものにBIMがありますが、「コモングランド」を運用するデータとして、直接BIMを使うことはできません。その理由はいくつかあるのですが、例えばBIMデータは原則として空間をつくるためのデータ体系なので、できた後にロボットなどが使いやすいデータ構造を持っていません。例えば、ドアの意匠などに関する情報は含まれていても、エージェントに伝える開閉操作などの情報が不足しているのです。
さらに言うと、BIMのデータは、「1ミリのズレも許さない絶対座標系」ですが、その空間で動くエージェントにとっては、多くの場合それほどの高精細な情報はいりません。常に無駄に高精度のデータを扱うことで、サーバーや処理能力などの負荷が無限に高まっていくだけです。
コモングラウンドのような動的なデジタル空間記述系が求めるのは、BIMとは異なり、「ズレを許容し後から調整する相対座標系」なのです。
現在、我々はBIMから空間の表皮(スキン)データとそれに付随する属性データをセットで記述するレイヤーを定義する「ExBIM」を提案しています。表皮データになれば計算は劇的に軽くなり、スマホで手軽にスキャンしたデータとの連携も容易になります。
建築業界は、竣工時点でデータの価値が終わると考えがちですが、竣工後にAIやロボットなどのエージェントが空間内で活躍するための「計算資源を節約する究極の空間テンプレート」としてデータを提供すれば、その価値は激増するはずです。AIやロボットなどのエージェントを開発している企業にとっては、その価値は計り知れないでしょう。だからこそ、日本が世界に先駆けて、共有基盤となる「コモングラウンド」を構築すべきなのです。
身体性や空間を拡張し
地方と都市の境界線を曖昧に
「コモングラウンド」によってAIやロボットなどのエージェントが活動しやすい環境が整うことで、例えばロボットを活用した在宅介護サービスなどを提供しやすくなります。
さらに言うと、「コモングラウンド」によって身体性や空間は無限に拡張していきます。物理的な空間を媒介として、そのデジタルツインを遠隔に共有し合うことで遠隔に行為空間を双方向に共有できるので、地方にいながら都市部の教室で授業を受けたり、逆に都市にいながら地方の生活を体験したりといったことが可能になります。家の一部が学校や病院、コンサートホールにもなり得る。空間を拡張しながら、家の機能を拡張していけるのです。
当然ながら実際に田舎や都会に行った方が感じることは多いでしょう。しかし、物理的な距離の制約を克服できない結果、田舎の価値が見捨てられていく現実もあります。物理とデジタルを融合させ、遠隔地にいても空間や行為を共有できるようになれば、「都会か地方か」といった100かゼロの物理的制約から解放され、都会が30、田舎が70といったように自由にブレンドできるようになるのです。
その一方で、住宅内の空間で言えば、空間のどの部分をデジタル化し、エージェントの出入りを可能にし、どこをオフラインにするかという設定は必要になるでしょう。
これからの住宅や建築は、物理的な空間に閉じたものではなく、ソフトウェアの更新性を持った「没入型デバイス」として設計されるようになっていきます。雨風などを凌ぐための「箱」としての機能だけでなく、暮らしを快適に、楽しくするための「没入型デバイス」として設計するイメージです。
人間とロボットなどのNHAがスムーズにコミュニケーションを行いながら、様々な生活サービスを享受し、さらには物理的な距離の制約を克服していく―。住宅がさまざまな情報を統合する「没入型デバイス」へと進化していけば、こうした暮らしが実現されるのも、そう遠くない未来なのだと思います。
ただし、その暮らしを実現するために注意すべき点もあります。囲い込み型の従来型のビジネスモデルでは、オープンソース型のビジネスモデルには勝てないということです。そのことは、様々な市場で既に証明されており、住宅産業界の方々も薄々は分かっているのではないでしょうか。
自社で管理する住宅の空間情報をクローズドな形で蓄積しても意味がありません。誰も理解できない言語を1人で話しているようなものです。例えば、業界挙げて住宅版の「コモングラウンド」を構築し、共通の情報基盤として活用する方向に行かなければ、住宅はいつまでも単なる「閉じた箱」であり続け、多様な機会や機能、場所と複合的に接続させてくれる、次世代の「没入型デバイス」としての価値を提供する好機を、みすみす逃し続けることになります。
(聞き手:中山紀文、高場泉穂)

