網野 禎昭 氏

法政大学 デザイン工学部 教授

もし、木造を選択する理由が単に「今トレンドだから」「企業のイメージアップにつながるから」「他社がやっているから」といった表面的な目的に過ぎないのだとすれば、それは極めて危うい状況と言わざるを得ません。木造ブームの今だからこそ、私たちは「木を使う」ことの本来の意味、そして自然資源と人間社会との関係性を根底から再考する必要があります。

私自身、最初から森林資源や地域社会との関係性を深く理解して木造に取り組んでいたわけではありませんでした。若い頃、日本で大断面集成材の振興が進められていた時代、私のタスクは「大断面集成材を用いて、巨大でダイナミックな木構造をつくること」にありました。当時の私にとって、木材とは単に構造材料であり、新技術を使ってどこまで大きな空間を作れるかという挑戦こそが関心の中心だったのです。

その転機となったのが、スイスのユリウス・ナッテラー先生のもとへの留学でした。結果としてヨーロッパで過ごした約15年間は、私のものの見方、考え方を大きく揺るがす時間となりました。構造家であったナッテラー先生は、ハイテクな工業化材料を使って巨大な建築を作ることを目的としていませんでした。先生が何よりも大切にしていたのは、「森林資源・地域の自然資源と、それを取り巻く人々、林業従事者や製材業者の生業を大切にする」という姿勢でした。山で木を育てる人々の営みから、製材、加工、そして建築に至るまでを断絶させることなく、ひとつの循環として捉える「一気通貫」の概念。この教えこそが、私の思想形成に極めて大きな影響を与えたのです。

ナッテラー先生の「一気通貫」の思想は、単なる頭の中の理論から生まれたものではありません。そこには、彼が育った環境と歴史的な背景がありました。先生の実家は南ドイツのフォレスター(森林官)の系譜にあり、幼い頃から林業や農業、そして地域の経済が密接に結びついた伝統的な地域社会の文化を身をもって知っていました。しかし、第二次世界大戦の前後の時代を経て、ヨーロッパの森林でもモノカルチャー(単一樹種の大量植林)による大量生産・大量消費の波が押し寄せました。その結果、地域特有の多様な生業が失われ、地域経済が衰退していくプロセスを目の当たりにしたのです。

この危機感から、ナッテラー先生は「山から建物まで」を一気通貫で考える必要性を痛感しました。林業という第一次産業にきちんとお金が回り、森林を守る人々が持続的に暮らしていける仕組みを作らなければ、森林資源そのものが崩壊してしまうからです。

だからこそ、先生は極力、「中間加工に無駄なお金を使うくらいなら、できる限り丸太に近い形で使い、森林資源を育てている林業家に直接利益を還元すべきだ」と、中間での複雑な加工コストを減らすことを提唱しました。木材を単なる「構造材料」として見るのではなく、社会的な「自然資本」として捉え、その循環システム全体を建築設計に取り込むこと。これこそが、ナッテラー先生から受け継いだ最も重要な教えでした。

日本の森林資源が直面する深刻な危機と国民の無関心

目を日本に転じたとき、現状は絶望的と言わざるを得ません。1950年代の拡大造林政策により一斉に植林された日本の人工林は、現在60年〜70年が経過しています。一見すると、山には木が溢れ、豊かな自然が広がっているように見えます。しかし、その実態は「大径木化が進むにつれて、伐採・搬出のコストが増大し、間もなくアフォーダブルな国産材の入手が困難になる」という危機的な状況に直面しています。一斉に植林をしたはいいが、伐採と再造林のサイクルがまわらず、山は荒廃の一途を辿っています。何より深刻なのは、この危機的な状況が国民全体にまったく共有されていないという事実です。

さらに、これまでのように「外国から安く木材を輸入し続ければいい」という発想は、今後通用しなくなるように思います。世界的な山火事の頻発や地球温暖化、カナダなどの伐採制限、そして世界規模での木材需要の急増により、他の資源同様、木材の争奪戦は激しさを増すでしょう。日本の経済力、購買力の低下も相まって、もはや外国産の木材に依存し続けることは困難です。自国の森林資源と向き合わざるを得ない時代がすでに来ているにもかかわらず、その準備は絶望的なほど進んでいません。

なぜ、日本の木材循環はこれほどまでに狂ってしまったのか。その根本的な原因の一つは「住宅が単なる『商品』になってしまったこと」にあると考えています。戦後の日本の住宅産業は、大量生産・大量販売のモデルによって拡大してきました。そこでの至上命令は「いかに売るか」「いかに効率よく工期を短縮するか」「いかに利幅を上げるか」という経済効率性のみです。自国の内需を拡大するための消費財として住宅が扱われ、「林業と我々人間社会のサイクルをどのように回していくか」「自然資源をどのように維持・発展させていくのか」という思想が完全に欠落してしまいました。

住宅は本来、街並みを形成し、地域の自然環境や資源循環を支える「社会資本」としてのエシカル(倫理的)な機能を持つべき存在です。家を1棟建てるという行為は、その土地の山を動かし、地域の林業や製材業を支え、環境を育むという社会的な役割を担っています。しかし、住宅が消費財としての「商品」に成り下がった結果、そのような社会資本としての視点や倫理的責任はほとんど考慮されなくなってしまったのです。

DLTの意義と市場の誤解

私が取り組んできたDLT(Dowel Laminated Timber)という技術も、こうした日本の工業化社会においては大きな誤解を受けています。DLTは、接着剤を使わず、小径材や余った板材を木ダボで固めてパネル化する技術です。この技術の本来の意義は、「製材過程で残った端材や、市場価値の低い低質材に付加価値を与え、地域の小さな工場や林業家に利益を残すためのサブ・プロダクト」という点にあります。高度な大型設備がなくても、地域の山と小さな工場があれば作ることができる、非常にエシカルで地域循環型のコンセプトなのです。

しかし、日本の建築関係者や構造設計者から寄せられる問い合わせは、「DLTの構造強度はどれくらいですか?」というものばかりです。彼らはDLTを単なる「構造用材料」としてしか見ておらず、既存の合板やCLT(直交集成板)と同じ土俵で「強度の数値」と「価格」だけで比較しようとします。「安くて強度が強く出ればいい」という発想から抜け出せていないのです。強度の高さを求めるのであれば、鉄筋コンクリートや鋼材を使えば済む話です。

なぜ木材を使うのか。それは強度という単一のパフォーマンスのためではなく、自国の自然資本を維持し、持続可能な社会を形成するという「エシカルな選択」のためであるはずです。DLTの本質的な思想が理解されない現状は、日本の建築界の思考の狭小さを象徴していると言えます。

建築教育の限界

こうした危機的状況の背景には、日本の教育体系の構造的な限界が存在します。高校での文系・理系分断に始まり、理系大学へと進んだ学生たちは、社会や経済、歴史、人間哲学といった教養から切り離されたまま、専門技術や構造力学、建築基準法といった専門知識を直線的に学びます。「そこそこの成績を取り、早く資格を取り、良い企業に入る」というベクトルの中だけで育っていくのです。

従来の建築教育の枠組みもまた、この限界から抜け出せていません。その価値観は、依然として「個別の建築作品づくり」や「人間社会の希望的な発展」に偏重しています。学生たちが、美しい建物や楽し気な空間を夢見ることは大切ですが、先述のような危機感を深掘りし、建築することが地域の森林資源や第1次産業、ひいては国全体の環境システムとどう結びついているかという「一気通貫の視野」を教える仕組みが存在しないのです。建築界そのものが縦割り社会に埋没し、目先の経済性や法規制に縛られる中で、根本的な議論が行われないまま時間が過ぎています。部分最適ばかりを追求し、全体像を見失ったまま突き進む姿は、まさにアインシュタインの言葉を借りれば「手段が完璧で、目的が支離滅裂な時代」を体現していると言えます。

「日本社会や日本の森林環境は、もう手遅れかもしれない」――私は時に、そうした強い危機感を抱きます。長年叫ばれ続けてきた問題に対し、本質的な対策が取られないまま、手遅れの段階にまで至ってしまったと感じる場面は少なくありません。危機が深まれば深まるほど、人々は現実から目を背け、盲目的になっていくからです。

しかし、たとえ日本という枠組みや既存の社会システムが手遅れになったとしても、「人間そのもの」が手遅れにならなければ、私たちは次の社会を作り直すことができます。

現在、既存の社会システムが破綻を迎えつつあるからこそ、若い世代に対して新しい視点を提供することが不可欠です。自分が設計者として1棟の素晴らしい作品を残すこと以上に、今、私が最後に取り組まなければならない最も重要な仕事は「教育」であると確信しています。かつて、ナッテラー先生が私に「山から建物まで」を見渡す広い視野と、自然資源と人間の生業を大切にする哲学を授けてくれたように、今度は私が、日本の若い人たちに「一気通貫」の視野と哲学を伝える番です。

建築とは、単に個別の箱を作ることではありません。人間の生活環境を生み出し、自然資本を循環させる「仕組み」を設計することです。この大きな視野を持った若者たちを一人でも多く社会に送り出すこと。真にエシカルで持続可能な社会を再構築できる人間を育てることが「最後にやらなければならない仕事」だと考えています。

(聞き手:沖永篤郎)